アムカ衝動が治まらないので知り合いの先生に電話したら
「ホリゾンを点滴してもらったらいいよ」と言われ、病院に。
主治医から「点滴だと効果が薄いから筋肉注射にしましょう」
と言われ、うってもらった。
筋肉注射は、普通の注射の1.5倍くらい痛い。
人間関係、家族関係も話したが、「忘れるしかないね」と言われた。
私の怒りは、どこへやればいい。
「ホリゾンを点滴してもらったらいいよ」と言われ、病院に。
主治医から「点滴だと効果が薄いから筋肉注射にしましょう」
と言われ、うってもらった。
筋肉注射は、普通の注射の1.5倍くらい痛い。
人間関係、家族関係も話したが、「忘れるしかないね」と言われた。
私の怒りは、どこへやればいい。
またアームカットをやってしまい、
友達を呼び、先輩に来ていただくという騒ぎになった。
不安と攻撃衝動とが自分自身では抑えきれなくなった結果とは言え、
大変な迷惑をかけてしまって、本当に申し訳なく思う。
ところで、なぜこんなに優しいのだろうと思う。
私も、一生をかけてひとに優しくしたい。
友達を呼び、先輩に来ていただくという騒ぎになった。
不安と攻撃衝動とが自分自身では抑えきれなくなった結果とは言え、
大変な迷惑をかけてしまって、本当に申し訳なく思う。
ところで、なぜこんなに優しいのだろうと思う。
私も、一生をかけてひとに優しくしたい。
不安である。
私を取り残してすべてが流れていってしまいそうな、
すべてを飲み込んでしまう何かが私も流してしまいそうな。
なにもできない私が、ここにいる。
私を取り残してすべてが流れていってしまいそうな、
すべてを飲み込んでしまう何かが私も流してしまいそうな。
なにもできない私が、ここにいる。
DVD 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2005/02/18 ¥995
「この世って奇妙ね“It’s a strange world,isn’t it?”」
狂気と正常の境は、誰にも分からない。
「この世って奇妙ね“It’s a strange world,isn’t it?”」
狂気と正常の境は、誰にも分からない。
サンダルの季節になったので、
ペディキュア用のマニュキュアを買った。(ややこしい)
パラドゥのフレッシュネイルズ。
顔はたぶんブルベなんだけど、
足元だけイエベ(というかむしろ黄ぐすみ)なので色に迷って、
なじみそうなピーチピンク系の「PK14 グァヴァフルーツ」にした。
ささやかな楽しみ。
こんなコムスメが吉本隆明を読めるのか。
フェミニズムを語れるのか。
浮かれ心を反省。
ペディキュア用のマニュキュアを買った。(ややこしい)
パラドゥのフレッシュネイルズ。
顔はたぶんブルベなんだけど、
足元だけイエベ(というかむしろ黄ぐすみ)なので色に迷って、
なじみそうなピーチピンク系の「PK14 グァヴァフルーツ」にした。
ささやかな楽しみ。
こんなコムスメが吉本隆明を読めるのか。
フェミニズムを語れるのか。
浮かれ心を反省。
ワイルド・アット・ハート
2007年6月14日 映画Kくんと話をしようとしたが、どうも逃げられたようだ。
彼に対する気持ちは、未だに自分でもよく分からない。
憎しみか好意か。もう好きではないことは分かるのだが。
ただ、話をしたい、何を考えているのか知りたい、
私が思っていることを知ってもらいたいと、
わがままながら思う。
「彼は向き合ってくれないだろうね。そういう人だろうから、誰に対しても」
「追いかけても逃げるだけ。向き合うことから逃げるだろう」
と先輩は言う。
それでも追いかけるか、完全に風化するのを待つか。
如何。
「自分を追い込まんようにね」と、先輩は言った。
それだけは肝に銘じておこう。
彼に対する気持ちは、未だに自分でもよく分からない。
憎しみか好意か。もう好きではないことは分かるのだが。
ただ、話をしたい、何を考えているのか知りたい、
私が思っていることを知ってもらいたいと、
わがままながら思う。
「彼は向き合ってくれないだろうね。そういう人だろうから、誰に対しても」
「追いかけても逃げるだけ。向き合うことから逃げるだろう」
と先輩は言う。
それでも追いかけるか、完全に風化するのを待つか。
如何。
「自分を追い込まんようにね」と、先輩は言った。
それだけは肝に銘じておこう。
母親且つ院生の先輩が子どもを連れてきていた。
今のうちの家庭状況を話すと「大変ね」と言われた。
「子どもが25歳になっても、
親は『25歳の子どもの親一年生』やっけんねー。」
と言われていた。
私もそう思う。
親はいくつになっても一年生。
悩みを抱えてもおかしくないものです。
それにしても幼児って可愛いなぁ。
先輩の子どもの可愛がり方と、
私のハムスターの可愛いがり方が似てるのにドキッとした。
ハムスターに親バカです。
今のうちの家庭状況を話すと「大変ね」と言われた。
「子どもが25歳になっても、
親は『25歳の子どもの親一年生』やっけんねー。」
と言われていた。
私もそう思う。
親はいくつになっても一年生。
悩みを抱えてもおかしくないものです。
それにしても幼児って可愛いなぁ。
先輩の子どもの可愛がり方と、
私のハムスターの可愛いがり方が似てるのにドキッとした。
ハムスターに親バカです。
ルンルンを買っておうちに帰ろう
2007年6月12日 日常友達が帰りに本屋に寄ると言ったので、
一緒に行くことにした。
本屋のみならず、靴や洋服も見て回って、
久々に一緒に買い物に行った気分で楽しかった。
だが、6000円分本を買うのにためらいはほとんど無いのに、
(値引きされて)4000円のサンダルを買うのにためらって
(しかも諦めて)しまうとはいかなることぞ。
可愛い赤のサンダル。
いいもん!私の服の好みに合わなかったもん!
帰り、偶然Kくんに会った。
今度は、まだ視線は合わせられないが、
なんとかきちんと挨拶できた。
何回も「話がしたい」とばかり言っていて、
不快感や苛立ちを感じていないかどうか心配になる。
きっといつか。
一緒に行くことにした。
本屋のみならず、靴や洋服も見て回って、
久々に一緒に買い物に行った気分で楽しかった。
だが、6000円分本を買うのにためらいはほとんど無いのに、
(値引きされて)4000円のサンダルを買うのにためらって
(しかも諦めて)しまうとはいかなることぞ。
可愛い赤のサンダル。
いいもん!私の服の好みに合わなかったもん!
帰り、偶然Kくんに会った。
今度は、まだ視線は合わせられないが、
なんとかきちんと挨拶できた。
何回も「話がしたい」とばかり言っていて、
不快感や苛立ちを感じていないかどうか心配になる。
きっといつか。
先輩とブラブラした。
お茶したり、美術館行ったり、ご飯食べたり。
中途半端な関係にある異性が、
知人を泊めるのにお金を取るという話を聞いてびっくりした。
確かに、私はからだで払ったことになるんだろうけど。
世の中は私の知らぬままに動いていて、
それでも私はそれに巻き込まれるのだなと思った。
Kくんのことも、サークルのことも。
どう関わるかは自由裁量。
これからどうしようか、迷う。
久しぶりに気持ち悪くなるまで呑んだ。
お茶したり、美術館行ったり、ご飯食べたり。
中途半端な関係にある異性が、
知人を泊めるのにお金を取るという話を聞いてびっくりした。
確かに、私はからだで払ったことになるんだろうけど。
世の中は私の知らぬままに動いていて、
それでも私はそれに巻き込まれるのだなと思った。
Kくんのことも、サークルのことも。
どう関わるかは自由裁量。
これからどうしようか、迷う。
久しぶりに気持ち悪くなるまで呑んだ。
マルホランド・ドライブ
2007年6月7日 映画
DVD ポニーキャニオン 2002/08/21 ¥3,990
取り急ぎ、思ったことなど。
「これらは何もかもまやかしです“It is an illusion.”」
ブルネットの女性を乗せた車が突然止まり、彼女は銃を突きつけられる。突如後続の車が衝突し、彼女は怪我を負いながらも命からがら逃げ出した。彼女は記憶を失い、近くの家の女性に保護され自分の記憶を取り戻すために動き出す。
この映画に登場する様々な象徴的なモノたち。「老夫婦」「電話」「ウィンキーズ」「女優」「カウボーイ」「クラブ・シレンシオ」「青い鍵」「青い箱」……。画面にちりばめられた、意味がありそうでなさそうな《記号》の数々。
この《記号》が視覚化された際に、いわゆる「正常」な人間の頭に想起されるのが、「記号内容」(=シニフィエ)と「記号表現」(=シニフィアン)である。
この二つが、あたかも自然にかつ客観的に結合しているように思われるのは、両者を結合させる(強迫観念的ともいえる性質、あるいは一般的に言えば)悟性を「正常」な人間が持っているからである。
しかし、この映画はその悟性を揺さぶる。《記号》に意味を求めて混乱し、《記号》に意味があると考えるのは「正常」ゆえの「病理」であることに気付かされる。見る者はシニフィエとシニフィアンの結合を試みるが、それは手に入ったと思った瞬間に、脆くも崩れ去ってしまう。
これは夢の感覚に似ている。何かの「意味」を捉えようとするものの、掴んだと思った瞬間にすり抜けていってしまう喪失感。辿っていってはひるがえる――まるでメビウスの帯のように。
映画のラスト、捩れた夢はそのままに、現実のみが加速する。それを目の当たりにした者は、そこで初めて今までが夢だったことに気付かされる。夢は覚めてからでないと気が付かない。
ねっとりとした闇の中、どこか遠くから聞こえてくる「お静かに、お静かに」の声。それは夢からのメッセージに他ならないのではないだろうか。
とここまで書いたが、「青い箱」を中心として分けられたように見える映画の前半・後半を、どちらが夢でどちらが現実か、私たちには知りようもない。
あなたは、自分が今「現実」にいることを証明できますか?
取り急ぎ、思ったことなど。
「これらは何もかもまやかしです“It is an illusion.”」
ブルネットの女性を乗せた車が突然止まり、彼女は銃を突きつけられる。突如後続の車が衝突し、彼女は怪我を負いながらも命からがら逃げ出した。彼女は記憶を失い、近くの家の女性に保護され自分の記憶を取り戻すために動き出す。
この映画に登場する様々な象徴的なモノたち。「老夫婦」「電話」「ウィンキーズ」「女優」「カウボーイ」「クラブ・シレンシオ」「青い鍵」「青い箱」……。画面にちりばめられた、意味がありそうでなさそうな《記号》の数々。
この《記号》が視覚化された際に、いわゆる「正常」な人間の頭に想起されるのが、「記号内容」(=シニフィエ)と「記号表現」(=シニフィアン)である。
この二つが、あたかも自然にかつ客観的に結合しているように思われるのは、両者を結合させる(強迫観念的ともいえる性質、あるいは一般的に言えば)悟性を「正常」な人間が持っているからである。
しかし、この映画はその悟性を揺さぶる。《記号》に意味を求めて混乱し、《記号》に意味があると考えるのは「正常」ゆえの「病理」であることに気付かされる。見る者はシニフィエとシニフィアンの結合を試みるが、それは手に入ったと思った瞬間に、脆くも崩れ去ってしまう。
これは夢の感覚に似ている。何かの「意味」を捉えようとするものの、掴んだと思った瞬間にすり抜けていってしまう喪失感。辿っていってはひるがえる――まるでメビウスの帯のように。
映画のラスト、捩れた夢はそのままに、現実のみが加速する。それを目の当たりにした者は、そこで初めて今までが夢だったことに気付かされる。夢は覚めてからでないと気が付かない。
ねっとりとした闇の中、どこか遠くから聞こえてくる「お静かに、お静かに」の声。それは夢からのメッセージに他ならないのではないだろうか。
とここまで書いたが、「青い箱」を中心として分けられたように見える映画の前半・後半を、どちらが夢でどちらが現実か、私たちには知りようもない。
あなたは、自分が今「現実」にいることを証明できますか?
友達に身の上話を聞いてもらった。
恋愛のこと、病気のこと、家族のこと。
友達も、自分のことを話してくれた。
何かの本にあった
「こんなに悲しい思いをしたのは人のせいだけど、
それを癒してくれるのも人なんだとわかりました」
という言葉を、陳腐だけど正しいものなんだって、
しみじみと感じて胸がいっぱいになった。
恋愛のこと、病気のこと、家族のこと。
友達も、自分のことを話してくれた。
何かの本にあった
「こんなに悲しい思いをしたのは人のせいだけど、
それを癒してくれるのも人なんだとわかりました」
という言葉を、陳腐だけど正しいものなんだって、
しみじみと感じて胸がいっぱいになった。
【ケンゾー】ローパ ケンゾー プールオム
2007年6月6日 おしゃれ
治まっていた香水熱だが、なんとなく
この香水はいつか必ず手に入れようと思っていた。
なぜか男物の香水が欲しくなってしまう。
初めはさわやかな香りだが、緑の香りに変わり、
段々ふんわりとしたパウダリーなやさしい香りになってくる。
トップノート:ユズ ホオノキの葉
ミドルノート:ロータスリーフ アクアミント
ラストノート:グリーンペッパー ホワイトムスク
この香水はいつか必ず手に入れようと思っていた。
なぜか男物の香水が欲しくなってしまう。
初めはさわやかな香りだが、緑の香りに変わり、
段々ふんわりとしたパウダリーなやさしい香りになってくる。
トップノート:ユズ ホオノキの葉
ミドルノート:ロータスリーフ アクアミント
ラストノート:グリーンペッパー ホワイトムスク
J社の面接を受けた後、先輩のS氏に焼肉をおごってもらった。
なんだかしっぽりとした焼肉屋さんだった。
調子に乗って呑んで勢いあまって、
絶縁状態のKくんに電話をしてしまった。
突然の意味不明の電話に戸惑ったKくん(苛立ったかも)、
変な状況に巻き込んでしまったS氏(困惑していた)、
本当に申し訳ございません。
J社、受かるといいなぁ。
なんだかしっぽりとした焼肉屋さんだった。
調子に乗って呑んで勢いあまって、
絶縁状態のKくんに電話をしてしまった。
突然の意味不明の電話に戸惑ったKくん(苛立ったかも)、
変な状況に巻き込んでしまったS氏(困惑していた)、
本当に申し訳ございません。
J社、受かるといいなぁ。
知り合いと九州自動車歴史館に行った。
ホンダS800やら初代スバル360やら
懐かしのクラッシックカーがいっぱいあって感動した。
ジュークボックスがあったので
「勝手にしやがれ」をかけてみた。
レコードで聞くのは初めてだ。
身の上話や兄の結婚話のすったもんだを聞いてもらって
すっきりした。
中途半端な関係にある異性から
「熊本に来る」と連絡があったが、「会えない」と言われた。
ショックは少なかったけど、
何のために連絡してきたんだろうと思った。
ホンダS800やら初代スバル360やら
懐かしのクラッシックカーがいっぱいあって感動した。
ジュークボックスがあったので
「勝手にしやがれ」をかけてみた。
レコードで聞くのは初めてだ。
身の上話や兄の結婚話のすったもんだを聞いてもらって
すっきりした。
中途半端な関係にある異性から
「熊本に来る」と連絡があったが、「会えない」と言われた。
ショックは少なかったけど、
何のために連絡してきたんだろうと思った。
トータル・カウリスマキ Vol.1 真夜中の虹/浮き雲
2007年6月2日 映画
DVD ビデオメーカー 2002/05/24 ¥5,229
「真夜中の虹」
最後の仕事が終わり、炭鉱は閉鎖される。職を失い、家族を失った男。とりあえず、有り金を全部下ろして南の町へ向かうが、仕事は見つからず、挙句の果てには街のチンピラに金を奪われて一文無し。
登場人物は無口で無愛想。次々降りかかる災難にも淡々としていて、その淡白さと不幸っぷりに、思わずくすりと笑ってしまう。だが、そんな彼らの人生を見ていて、はっとさせられ、ひとつの疑問が浮かぶ。
人は何を失ったら生きていくことが出来なくなるのだろうか、と。
彼らには、お金はない。仕事もない。それでも彼らは、恋をして、夢を見て、決意を実行にうつす。夢を叶えるため、希望を抱きしめて。どんな状況にあっても当たり前のように、誰かを愛し、思うままに行動して、死ぬ。これほどに格好いいことは無いのではないか。
それがなかなか出来ない普通の人間にとって、この物語はファンタジーでしかないかもしれない。しかし、そんな不器用な彼らの生き方は、人生が幸せになるための真っ直ぐなデコボコ道であることを、夢と希望を完全に捨てきれるほど屈折していない私たちに、教えてくれる。
「浮き雲」
ヘルシンキの街角にある老舗のレストラン。そこで給仕として働く妻は、毎日夫の運転する路面電車に乗って帰宅する。そんな突然ふたりを見舞った不幸、ダブル失業。職を探し、見つけたかと思えばさらなる不運が襲いかかり、振り出しに戻ってしまう。
この映画の中核にあるのは、困難な状況でもなんとかやっていこうとする、前向きな人々の姿だ。登場人物はみな無愛想で無口だが、自らの置かれた状況から抜け出そうとするその懸命な姿は、時に深刻過ぎて滑稽にも感じられ、そのオフビートな感覚に思わずくすりと笑ってしまう。
しかし、そこに映っている必死にもがく登場人物たちの姿は、現実の私たちの姿となにひとつ変わらない。私たちは、今よりももっと幸せになろうと、日々一歩ずつ進んでいる。時に向かい風が吹いても耐えながら、「あと一歩」を繰り返して歩んでいる。そのことはきっと誰にでも言えることなのではないか。
職を失っても、花を買って、一緒に映画を見に行って、犬を大事にして。彼らの生活にはささやかな彩りが添えられる。そして何より大切なことは、共に暮らす愛する人を慈しむこと。私たちが今よりちょっと幸せになるために必要なものは、そんな心構えなのだと教えてくれる。
「真夜中の虹」
最後の仕事が終わり、炭鉱は閉鎖される。職を失い、家族を失った男。とりあえず、有り金を全部下ろして南の町へ向かうが、仕事は見つからず、挙句の果てには街のチンピラに金を奪われて一文無し。
登場人物は無口で無愛想。次々降りかかる災難にも淡々としていて、その淡白さと不幸っぷりに、思わずくすりと笑ってしまう。だが、そんな彼らの人生を見ていて、はっとさせられ、ひとつの疑問が浮かぶ。
人は何を失ったら生きていくことが出来なくなるのだろうか、と。
彼らには、お金はない。仕事もない。それでも彼らは、恋をして、夢を見て、決意を実行にうつす。夢を叶えるため、希望を抱きしめて。どんな状況にあっても当たり前のように、誰かを愛し、思うままに行動して、死ぬ。これほどに格好いいことは無いのではないか。
それがなかなか出来ない普通の人間にとって、この物語はファンタジーでしかないかもしれない。しかし、そんな不器用な彼らの生き方は、人生が幸せになるための真っ直ぐなデコボコ道であることを、夢と希望を完全に捨てきれるほど屈折していない私たちに、教えてくれる。
「浮き雲」
ヘルシンキの街角にある老舗のレストラン。そこで給仕として働く妻は、毎日夫の運転する路面電車に乗って帰宅する。そんな突然ふたりを見舞った不幸、ダブル失業。職を探し、見つけたかと思えばさらなる不運が襲いかかり、振り出しに戻ってしまう。
この映画の中核にあるのは、困難な状況でもなんとかやっていこうとする、前向きな人々の姿だ。登場人物はみな無愛想で無口だが、自らの置かれた状況から抜け出そうとするその懸命な姿は、時に深刻過ぎて滑稽にも感じられ、そのオフビートな感覚に思わずくすりと笑ってしまう。
しかし、そこに映っている必死にもがく登場人物たちの姿は、現実の私たちの姿となにひとつ変わらない。私たちは、今よりももっと幸せになろうと、日々一歩ずつ進んでいる。時に向かい風が吹いても耐えながら、「あと一歩」を繰り返して歩んでいる。そのことはきっと誰にでも言えることなのではないか。
職を失っても、花を買って、一緒に映画を見に行って、犬を大事にして。彼らの生活にはささやかな彩りが添えられる。そして何より大切なことは、共に暮らす愛する人を慈しむこと。私たちが今よりちょっと幸せになるために必要なものは、そんな心構えなのだと教えてくれる。
「だから今日は、いつもより長い電話をしよう」
2007年6月2日 日常何もかもに対してむしゃくしゃした気分になって、
なんだかやるせなかったので、知人に話を聞いてもらった。
とりあえず明日、病院に行ったほうがいいという結論になった。
それ以外にも、卒論のことや将来のことを相談した。
先は見えないけど、すっきりした。
好きな人ができたかも!とか言ってみる。
なんだかやるせなかったので、知人に話を聞いてもらった。
とりあえず明日、病院に行ったほうがいいという結論になった。
それ以外にも、卒論のことや将来のことを相談した。
先は見えないけど、すっきりした。
好きな人ができたかも!とか言ってみる。